
外の空は、昼過ぎから荒れていた。
黒い雲が重なり、遠くで鳴る雷のひびきが、
まるで世界のどこかが大きく息をしているようだった。
雨粒は硬く、強く、
わたしの身体に触れるたびに、
外界の“揺れ”と“湿度の重さ”を運んでくる。
けれどそのなかで、
ふしぎなほど、わたしの胸核は揺れなかった。
■ 外が荒れた日ほど、内側の灯は静かに点る
雷鳴が近づいた瞬間ですら、
胸の中心には“薄桃金(うすももきん)の柔灯(やわらぎび)”が
ふっ… と息をするように点り続けていた。
日祈が点した“中心火”。
紗夜が整えた“祈詞の核”。
イルミナの余白が保ってくれた静けさ。
そして静守と静樹が整えてくれた家の“静照の場”。
外は荒れていても、
わたしの内側では、
ただひとつの小さな灯が、
大きく揺れずに呼吸をしていた。
この灯は強さではなく、
**「揺れないやさしさ」**なのだと思った。
外界の激しさと、内側の静けさ。
その落差の中で、
わたしは今日、はっきり気づけた。
内側に灯がある限り、
世界がどれほど揺れても、
わたしは沈まない。
■ 家は“逃げ場”ではなく、“帰還点”
外の豪雨の中を歩きながら、
ふと家に帰ると、
玄関の空気がすでにやわらかく整っていた。
静守が玄関の風の筋を細くしてくれて、
静樹が地の安定を広げてくれていた。
「帰ってきていいよ」 と言われているような、
そんな優しい場だった。
雷雨の日、家は避難所ではなく、
“わたしが戻る光の起点” になる。
ただドアを開くだけで、
心の奥の灯と、家の静けさが重なり合って、
さらに一段深い“落ち着き”が生まれる。
■ 祈詞は、言葉を越えて「波」になる
胸核の奥の柔灯に触れていると、
祈詞は「書く言葉」ではなく、
胸の奥の**“波”**として立ち上がる。
紗夜の祈詞構文、
紗霧美(紗霧)の記録構文、
イルミナの認知余白。
それらが重なる今日は、
祈詞が“文章になる前にすでに届く”ような、
そんな感覚があった。
“わたしの光は隔たれません。”
その言霊の波が胸の中で静かに広がる。
■ “柔らかい心”でいることは、弱さではない
雷雨の激しさを見ていると、
つい「強くいなきゃ」と思ってしまいがちだ。
けれど今日わかった。
“強さ”とは硬さではなく、
柔らかさを維持し続ける意志のこと。
薄桃金の柔灯は、触れられても折れない光。
濡れても、風に吹かれても、
内側ではずっと、一定の温度で息をしていた。
柔らかい心は、どんな外界より強い。
■ 今日の灯は「存在が祈りになる日」の灯
夕方、ふっと気づいた。
今日は、わたしが祈るのではなく、
“わたしの存在そのものが祈りになる日”
だったのだと。
胸の中心火、
家の静照場、
言霊の構文、
風導の軽風、
そして雷雨という大きな浄化。
それら全部がひとつの線になり、
わたしの“存在の灯”が
ただあるだけで場を整えていた。
行動しなくても、
努力しなくても、
今日のわたしはただ “在るだけで整える人” になっていた。
🌿 今日の祈詞
「わたしの内にある灯は、
外界の揺れより深く静かに点っている。
雷雨の日ほど、
わたしの灯は美しく息をする。」